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ボーイ・ミーツ・ワールド【ペンギン・ハイウェイ感想】

 

自分で追った結末に敵うものはないと思っているので、決定打になるようなネタバレは避けて書いているので安心してほしい。

 


森見登美彦さんの本が好きだ。

インフルエンザで全身筋肉痛になっている時に「夜は短し歩けよ乙女」に出会った。

A6判の長方形の中に楽しいことが全て詰められている中村佑介によるイラストと、あらすじにときめいて買っていたのだが、本を開くと独特の文章が現れ、正直読み進められるか不安になった。

が、5ページ進めるとその文章の世界が普通になってしまい、筋肉痛に苦しむ指で最後までページをめくり続けることになる。

頭の良い大学の学祭で見かけるようなオモチロイ人が、京都で右往左往して生を謳歌する世界に私は没入した。それ以来京都の大学に謎の憧れを持つことになる。今年こそ学祭に潜入してクジャク同好会の名前の長いクジャクを見に行きたい。


本屋大賞発表直後に平積みされている本をめくって閉じてしまった人は、是非数ページだけ読み進めてほしい。すぐ心配はなくなってしまうから。

それでも自分は慣れないぞ、もっとすんなりした文章でないとという人にはこれだ。

 


ペンギン・ハイウェイ

 


普段の読み口こそ森見ワールドの極なのだが、ペンギン・ハイウェイ森見登美彦さんの本なのに文章がさらさらしているのである。

本を開いて陳列させていれば先生の本だと容易には気付けない。

なぜさらさらしているのか。主人公が腐れ大学生ではなく小学生だからだ。

この世界は、聡明な小学生のアオヤマくんが、住宅街にペンギンが現れた事象から研究を進め、ある説に辿り着く話だ。

このお話が凄いのは、ページをめくり続けると節ごとにアオヤマくんの研究成果や仮説が提示されるので、本という媒体であることも手伝って、とても分かりやすい論文を読んでいる気になれる。

アオヤマくんの目を通して、一緒に観察しながら研究を進め、最後に仮説をひとつひとつ考察して紐付け、心が震えながら結論に到達することができるのだ。

 


この読書体験があったので、映画はどんなものになるのか、実は少し遠い所から傍観していた。

論文や研究成果をまとめるのに相応しい「本」の中で、研究を一緒に(勝手に)追いかけて、時にはページを戻して仮説を復習し、最後の説に辿り着いて、アオヤマくんのある独白で締められる読書体験を超える事はとても難しいと感じていたからだ。

私は学生時代にこの作品を講義で布教したことがあり、そのことを知っている友人が誘ってくれて、ようやく映画館に足を運ぶことができた。

 

 

映画は冒頭でオープニングが流れるものだ。

オープニングの音楽で、この映画が素晴らしい「映像化」になる予感が確信を持って押し寄せてきて、冒頭5分で視界が潤んでぼやけてしまったのだった。


映像化によって、アオヤマくんのノートは筆跡まで見えるようになり、生き生きと動く瞳や海も目にすることができた。

読書体験の際に、結論の予感にどきどきし過ぎて見落としてしまっていたものにも気付かされた。

 

音楽はまるで7月20日だった。

私たちも連休前の夜に、ちょっと良いスーパーで一缶用意したり、ささやかな祝杯をあげるレストランに入ったりした時は嬉しくてそわそわする。

きっとその「大人のそわそわ」を軽く飛び越えてしまうだろう。これから1ヶ月以上も続く夏休みが始まり、走り出す小学生の気持ちと、その先に待つ夏休みの終わりの哀愁をほんのちょっと加えた心そのものだった。

今年の夏は映画館によく潜っているのだが、それでもスピーカーに目が行ってしまうくらい、劇場で浴びる音が素晴らしかった。

iTunesなどで簡単に試聴ができるので、サウンドトラックの一曲目と二曲目で片鱗を感じてほしい。


劇場を出てから堪らずパンフレットを買ったが、アオヤマくんのノートの中を鮮明に見ることができたし、歯が抜けるシーンにそんな解釈があったのかとハッとする文章も載っていたので、これもお勧めしたい。

 


原作で最高の読書体験をして、アオヤマくんの成果を元々知っている状態でも、もう一度彼と心を震わせながら研究結果に辿り着くことができた。

個人的に今年一番の作品になりうる映画だ。

本で見守っていた人はもちろん、色々物事をじっくり考えることが好きな人、研究とか仮説とかが好きな人は、劇場でアオヤマくんと一緒についていった方が良い。

 

それともう1人、尾を引く物語に引きずられる傾向がある人にも、アオヤマくんを観察する座席のチケットを買って、エンドロールの宇多田ヒカルを聴くことをお勧めする。

同じくペンギンを題材にしたあの地下鉄アニメや、人理を守るあの話にも引きずられ続けている自分にとって、同じ魅力を感じる物語だからだ。

 


アオヤマくんは二つの研究を同時に進めている。

実は彼を見守る私たちなら、映画での彼の最初の邂逅の時点で、もう一つの研究の結果に気付けるのだ。

その結果は内緒にして、そのままアオヤマくんを見守ってほしい。

夏に浴びるべき最高のボーイ・ミーツ・ワールドに出会うことができるだろう。