いぬとまめのうすいホン

おさかなシロフォン

城オジが映画館で待っているぞ!

 

 『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか?』という本を、小学生の頃、親にせがんで買ってもらったことがある。そのタイトルを引用するならこうだ。

 

 ナウシカを映画館で見たことがありますか?

 

 空気中を漂う微細なもののせいで、あらゆる新作映画が公開を延期する中、空白の期間に突如として現れたコンテンツ。ジブリ作品の劇場上映が告知され、今、全国の映画館では、山犬が駆け回り、竜は空を飛び、9歳の少女は生きる力を手に入れている。


 ナウシカメーヴェを愛し、小学生の頃はずっとあの凧と呼ばれる飛行機のことを考えていた。初めて作ったプラモデルと、現実で空を飛んだ「M-02J」のポストカードを今も飾っている自分は、もちろん喜び勇んで映画館に駆けつけた。昨日のことだ。

 

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 入場時の「4時20分上映の『風の谷のナウシカ』」というアナウンス、NOW SHOWINGという文字の下に並ぶ小さなポスター、シアター入口で煌々と光るメインビジュアル……劇場に足を運ぶだけでも、十二分に価値があったと思う。

 ご存知の通り地上波でよく放送されている作品だから、観に来ている人は作品を愛してやまない人達なのだろう。ある種のイベント会場にも近い、同志感もとても良かった。


 社会的距離が保たれた座席は、目の前に人の頭がくることもなく、隣で何かと気を遣うこともない。映画館の採算という重い問題を一瞬だけ棚に上げるなら、鑑賞条件としては非常に快適だった。今、劇場に観に行くことは、観客と映画館双方にとって良いことなのではないかとも思う。


 話を映画に戻す。Twitterで感想が飛び交っていた通り、映画館の指示でマスクを付けて、マスクをしなければ肺が5分で腐ってしまう世界の映像を見ることは、非常に趣があった。今までは考えたこともなかったけれど、あれだけ運動量の激しいナウシカがマスクを付けているのは、きっと暑いだろう、もしあの世界の人間が汗をかくなら、マスクの下はじっとりと湿っているのだろうとか、共感することが多々あった。映画の中からマスクをつけてくださいと叫ばれることもあった。

 臨場感だ。腐海とは程度が大きく異なるけれど、私たちもマスクをしなければ、条件が悪く重なって、最も最悪なケースを辿るなら、息絶えてしまうのかもしれない。私たちも、姫姉さまと同じように、マスクをして目の前の世界に望まなければならない。屋外などでは、厚生省が推奨する通り、時折外す必要があるが。


 空気中に漂う微細なものから話が離れていない。我々もウイルスのほとりに住む者の定めとして、あれらと共に生きるしかないのだ。勿論、この世界でも、(人の都合だけれど)役割がちゃんとある。ウイルスではなく菌の話になるけれど、一緒に暮らしているからこそ、美味しいお酒や料理をいただくことができる。(この辺りは、農大漫画「もやしもん」を読むと、とてもわかりやすく知ることができる)

 ちなみに、ナウシカの原作では、「粘菌」が重要な現象として登場する。

 

 

 時事ネタを感じるために映画館に赴いた訳ではない。一番の目的は、劇場のスクリーンで流れる作品を、全身で受け止めるためだ。

 結論として、自分の判断は間違えていなかった。一番初めの青いジブリのクレジットは、当時の劇場では流れていなかっただろうけど。30年以上前に映画館に足を運んだ人しか味わえなかった感覚を、2020年の今、安価な席代で追体験することができたのだ。

 冒頭の腐海に飲まれた町、そしてタイトル文字とテーマ曲が劇場いっぱいに広がった時、ああ と息を飲んでしまった。哀しげな音楽とともに叙事詩が流れることにより、私たちにとっては未来かもしれない、荒廃した世界は「過去」のものとなり、そこから青い空と美しい飛行機に繋がる。過去から砂漠に降り立ち、私たちはもう、黄昏の時代を迎えつつある一人の人間になってしまった。


 ビデオを借りて集中して観たのが学生の頃、地上波で流れる時はどうしてもCMや手元のスマートフォンが作品を横切るから、特別な暗闇の中でナウシカを追うと、知らなかった物事に多く気付いた。物語の解像度が高くなったという表現が相応しいかもしれない。幼い頃は見ることがなかった戦争作品も、年を重ねた今ではいくつか知っているから、軍事的な流れもすんなりと理解することができた。谷を俯瞰する時、屋根の数が記憶よりも少なかった。風の谷は思っていたより小国だ。大国が攻めてくるのは、辛い。

 あの世界で掘り出されるエンジンは、現行のエンジンというよりも、反重力装置に近いのかもしれない。メーヴェの垂直離陸もそうだけれど、ペジテのガンシップや、空飛ぶ壺については、揚力の仕組みについて、全くもって説明できない。資源の山と化している、星間飛行をしていたとされる船も、空気の流れも加速もくそもない形をしているし。

(科学館で仕入れた知識しかないため、もしかしたら今でも説明がつくのかもしれないが。)


 登場人物についても。今までとは比べ物にならない大きなスクリーンで追うことができたので、ユパ様と再開するナウシカのもちもちとした顔の可愛さに気付くことができたし、谷に向かって助走をする時、途中でそんな顔をしていたのか、雲の中でそんな動きをしていたのかと、新たに発見することが多かった。大昔、履いてないんじゃないかと思っていた太腿辺りについても、肌色に近いスパッツを履いているという事実を知ることができた。(腐海の地下の場面で、顔の色と違うことが良く分かる)

 そして、十代とは思えない精神力。不思議な力を持つ子だ……と、ユパ様と同じ目線にもなる。強くて美しい、優しすぎる故に危うい少女は、彼女よりも歳上になってしまった今も、私の憧れの人に変わりなかった。

 ところで、姫さまが寝転んでいる横で、大ババ様は何を作っているのか。大画面で見る謎の鍋は思いの外不味そうだ。お父様の薬であってほしい。でも、さじで舐めて味を整えているしなぁ……スープなのかな……。


 ナウシカとともにいる、城オジのポテンシャルも高い。弾を二発同時に、姫を挟むように撃つなんて。一歩間違えると大惨事だ。実は実力、凄いんじゃないか。ユパ様にこらえてくれと指示されていても、暴動を目の当たりにしたら、始まっちゃったもんは仕方ねえ〜、と閃光弾を抱えて走り出す城オジたち。メーヴェの華麗な落とし方とは違う、え〜いという鈍く可愛らしい弾の投げ方。手が石のようになりかけていても戦車を操作できてしまう、宮崎駿監督が描き出す、愛すべきわちゃわちゃハイスペックおじいちゃんたち。

 

 

 楽しい映画の思い出の最後に。映画館で作品を浴びなければ知ることができないものが、一つだけある。

 光だ。暗室で投影される光を、映画が公開された当時のまま味わうことは、液晶や有機ELのモニターでは再現できない。目を細めてしまう、ナウシカの回想のはじまりの白、王蟲の奇跡の金色は、映画を繰り返し見た、今までのどの瞬間よりも眩しく、美しかった。

 


 映画館を出る時、上映している回数が少ない故か、大勢の映画館スタッフに入口で見送られた。頭を下げて、チケットもぎりのカウンターを抜ける。


 これは、と思った時にこのブログを書くことが多いが、過去の記事を見ると、半分以上は映画館にまつわることを連ねていた。解放できる座席数が少ない為に、収益の回収が難しい状況が続くが。映画館の入口、ピカピカのパネルの中に、まだ見ぬ心躍る作品のポスターが並ぶ日々を、自宅にこもりつつ心待ちにしたいと思う。

 

 夏のはじまりの時期に観に行ったので、私が暑がりなのも関係するのか、映画館入口のサーモグラフィにひっかかったことを、記事の最後に記しておく。

(周りが一歩引くのを背中に感じながら、体温計を額にかざしてもらうことで事なきを得ました。)